Is there love?

Is there love?

「そこに愛はあるんか」そう。皆さんご存知であろう某CMのキャッチコピーだ。
"愛"という言葉を使うと、日本人はなぜか冗談っぽく軽いイメージを抱いているように思う。時には鼻で笑われるようなフレーズになり得てしまう。だけど、その言葉にはどの事柄にも通ずる本質がある。"愛"があればどんな意見であろうと軸はブレないし、"愛"があれば世界は変えられる。僕は本気でそう信じている。

今回の"種と旅と"もそうだ。
一般的な流通に乗ることのない、在来種や固定種にフォーカスを当て、その種を祝う。では、なぜそもそも流通に乗ることが難しいのか。それは、品種改良されたF1種と比べて収穫量や見た目の均一性などが劣るからだ。単刀直入に言う。それは消費者の僕たちの責任に他ならないと僕は思う。
F1種を育てている生産者と、固定種や在来種を育てている生産者とそこになんの差異があるというのだ。野菜に対する想いは両者とも熱い愛を持っていて変わらないであろうし、消費者に美味しい野菜を届けたいと気持ちも変わらないだろう。それなのに、見た目や大きさの均一性が劣るという理由で、価格が下がったり流通の対象に乗らないのはとても酷な事だと思わないか。人間が見た目で判断されてはいけないように、野菜も見た目で判断されてはいけないと僕はつくづく思う。

兎にも角にも、そうなってしまった現実があるのは消費者である僕たちが生産者やその野菜たちに寄り添えていないからに他ならない。見た目の美しさに比重を傾け、綺麗であることを要求している結果だ。
そこになんの愛があるというのか。
とてつもない労力を捧げ、僕たちの体を作ってくれている野菜たちを見た目で価値を決めるなんて。少し汚れているならそこを切り落とせばいいのだし、形が歪であればそれだけ個性を持ったユニークな野菜だというのに。

これからも野菜の見た目の美しさを求め続ければ、農家さんは農薬を使うなどの手段を使い虫を除去したり生育を制限したりせざるを得ない。そうすればそれを口にする人たちの体の影響も容易に想像できるだろう。もう悪循環でしかなくなってくるのだ。見た目に傷があることも、カタチが歪であることも、できるだけ農薬を使わずに野菜を届けようとする生産者の愛の賜物じゃないか。それをもっと消費者は理解すべきだ。本質はそこにあるし、見た目じゃない。

慣行栽培であろうと無農薬栽培であろうと。F1種であろうと固定種であろうと。
そこに愛があれば、充分ではないか。

それが、これからも種を継いでいくために必要なことであり考えていかなきゃいけないことである。
今一度問い直してみよう。「そこに愛はあるんか。」

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Written & Photographed by Katsushin Morimoto / Writer

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